ムヒカ大統領のスピーチから、自分なりに考えたこと

 

リオ会議でもっとも衝撃的なスピーチ:ムヒカ大統領のスピーチ (日本語版) | Hana.bi

 

この記事は妹がFacebookでシェアしてたので見た。

妹は大学1年生。国際的な事に興味があるといっていて、

海外ボランティアや国際セミナーなどに参加しているようだが

わたしからみると意識の高い学生(笑)というイメージ。

 

このムヒカ大統領のスピーチ文面をみて、

「このスピーチをできるのはすごいと思う」

「目をそらしちゃいけないことを突きつけられて衝撃的だった」

とか言っちゃうタイプ。

わたしはあまり好きではない…

 

すごいことを見て、すごいことを感じて、いい機会でした。

とか言って、いい機会を経験した自分に満足しちゃってるように思える。

 

ああ、もちろんこのスピーチは多くの人にとって衝撃的だろうし

そう感じることに問題はないのだけど

もっと詳しく聞きたい。どの部分がなぜあなたにとって衝撃的だったのか。

 

すごい。とか、いい文章とかそういう綺麗なまとまりのいい言葉だけで

終わらせるのはもったいないよなーって。

感じることは人それぞれだから、その感じたこと考えたことを詳しく聞きたいわけ!

あなたはそう考えたのね!そういう面からもみれるのかーとか

一人では考えつかないようなところを見つけたいの。

 

それなので、わたしは自分が感じたことを書きます。

わたしはばかだけど、ばかなりに考えることもあるし

幼い考え方でも、もっと自分の考え伝えたいし、いろんな人の考え方知りたいからがんばって文章にします。これも練習。

 

昔の懸命な方々、エピクロス、セネカやアイマラ民族までこんなことを言っています

「貧乏なひととは、少ししかものを持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」

(おおー初めて引用を使ってみた…!)

 

世界の全人口が裕福な人と同じように暮らしたら地球や資源はどうなるんだーとか言ってるけど、ありえないことなんであまり興味はない。

でも、貧乏なひとの定義は頷けるところがある。

 

幸せの基準は相対的でなく絶対的基準で決めるべきだ。と何かの本で読んだ。

わたしが幸せだなーと思えるのは、好きな人と過ごしてる時。

好きなことをしてるとき。美味しいもの食べてる時。

 

些細なことだと思うけど、今異国の地にいてそれが満足にできていないから

ああ、想像するだけで幸せな気持ちになれる。

 

日本は便利な国だ。でも便利だからこそ何か物足りないというか

あって当たり前という気分になるんだろう。

インドネシアにいて、食べたいもの食べれないし、言葉通じなくてすごく苦しいし

でも、まわりに幸せがたくさんころがっている。

知らない人に話しかけてもらえて幸せだし、

わたしが歩いて学校へ行っていると、自分も学校行くからバイクの後ろに乗りなよーって言ってもらえて幸せだし。

 

幸せのボーダーラインが低くなっているように思える。

身近な幸せに気付けることが幸せだと思える。

 

人なら欲はあって当たり前だと思うし

無限の欲はどうしても生まれてしまうものだと思う。

 

欲がひとつ叶えられると、また新しい欲が出てきて

その新しい欲が叶えられるとまた新しいの…と無限。

いくらあっても満足しないというより、いくらでもあるから満足できないのだろうと思う。

 

どうすれば満足なんだろうか。

 

わたしは当たり前を幸せと知ることが大切だとおもう。

欲しいもの何?と聞かれてあれも欲しいしこれも欲しい。どんどん出てくるけど

本当に幸せなのは

好きな人と過ごしてる時。好きなことをしてるとき。美味しいもの食べてる時。

 

満たされないものがあるからこそ、幸せを感じれるのだろうと思う。

 

まとまりなくなったけど、まとめると

日常の中の幸せを見落とさずに、生きていきたいと思う!ってことかな